東京へ絵画の勉強に 北区美術クラブ

 高校を卒業して2年後、絵描きになる夢を求めて、そして母から「芸は身をたすけ」と背中を押され上京しました。父母からも「ここに住めば安心だから」と東京都北区西が丘、叔父(母の弟)宅に寄寓し、そこから阿佐ヶ谷美術学院、フォルム洋画研究所、中央美術学院、練馬区の江古田洋画研究所等、手当たり次第に研究所通いをしました。

 昭和34年に赤羽公民館美術クラブの存在を知り入会しました。後に北区美術クラブと名称変更しました。

 北区在住画家 大野五郎先生は1964年に主体美術協会を創立、示現会 小牧盛行先生、二紀会 宮川仁先生、行動美術協会 山森元亀先生等の講師陣による実技指導は尊いものでした。

 戦後の荒廃した世の中で北区の青少年に、絵画を通じ豊かな情操教育を育てたいということで、毎週日曜日多数の若者がイーゼルを立てているクラブでした。教習終了後、赤羽駅前の喫茶店にワイワイガヤガヤの賑やかな時を過ごし、各講師の先生方の絵画手法を食い入るように学び、油絵を描く喜びを感じました。大野五郎先生はいつも8号のスケッチブックを脇にはさみデッサンをしていました。特にクロッキーはいつも素晴らしく感心しました。写生会は4人の講師がおり、20~30人の参加で活気あふれるものでした。

 

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