東京国際大学 金子泰藏学長

 1960年代に東京銀座の小さな画廊で展覧会を開いたところ、見に来た方から、「元気な絵を描いているね!」と褒めて頂いたのが金子先生でした。その頃は、日曜画家の時代といわれ、東京駅・丸の内界隈の路地やビルの近辺は、青年画家が毎週大勢集まっていました。教育者だという金子先生に、七洋会開催の案内状をお渡ししました。公私ともにお忙しい方のようで、失礼かなと思いました。ある日七洋会の会場に突然現れ、恐縮しましたが「いい絵だね!大漁旗を見ると元気づくよ!」とおっしゃっていただき、有難い言葉をかけて頂きました。これがお会いするきっかけで、その後親交が深まっていきました。

 東京国際大学のキャンパスに、1986年「朝霧」F100。1987年「晨光」P80を壁面にかけて頂くこととなりました。

 私にとっては、再び生涯出会うことの出来ない偉大な師に出会い、何気なく、おっしゃる言葉にいつも心を広げさせて頂きました。勇気と希望を湧かせて頂きました。「遺影」を背に生涯この道を歩み、見守って下さることでしょう。

 当然この道に入ることは、家族は大反対、口ひとつ言わぬ日々が続きました。家計がどうなるか、家族には将来への不安がありました。しかし先生は、どこかで見て下さったのでしょう。「サラリーマンより、君は絵を描きなさい。僕はそう思う」金子先生の先見と決断の速さには驚きました。

 しかし、私にとってはどういわれても明日からどのようにして、家族を養っていくのか。当座の糧はあっても不安は増すばかりでした。

 金子先生がご健在であれば、当然陳列される作品もあります。亡き学長に背くことはできません。永い先生との関わりから、意に背くような行為はぜひ避けたい。小生にとっては、生涯の指導者であり尊敬する偉大な哲学者であり背くことは出来ないのです。先生の哲学(人生観)から生まれた言葉の数々は私の心に残っています。

 私は今も、先生を親と思っています。なぜなら普段着の言葉、なんの気取りもなく下町好みの学者です。永い間の学長との関わりは私の人生観にも変化を与え先生は最大の理解者でもありました。残った人生の道を金子泰藏先生に捧げたいと思います。

 ※金子泰藏先生ご逝去 1987年5月17日

 

             冬磐梯 F100 東京国際大学所蔵

 

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