陸中海岸…東日本大震災の写生地を思う

 ウオー凄い、驚きと感嘆そして身震いした。海面から聳え立つ断崖絶壁。迫力と豪快な大自然の造形美を見せる。交通の不便なところとは聞いていたが、乗り継ぎと時刻表に戸惑いながら辿り着いた岩手県田野畑村

 通いなれた千葉県房総の漁村風景からは全く想像出来ないほど、この地は海岸線のダイナミックで壮大な景観に圧倒された。陸中海岸国立公園として昭和30年に19番目の国立公園に指定されている。現在は岩手県久慈市から宮城県気仙沼市まで南北180キロのリアス式と呼ばれる海岸線にあり、北に行く程、切り立つ鋸刀状の断崖美と荒々しく打ち寄せる太平洋の波濤を受け、奇岩、奇勝の雄大な自然美に魅了し、連なる断崖、北部陸中海岸「北山崎」は日本一の豪快な景観を呈し、その感動は画心を誘うに充分な写生地であった。しかし描く足場は屏風を立てたような急斜面にあり、必要最小限の画材をあらゆる方法で体に縛り付け、緊張と恐怖だけが先立つ岩の隙間で描き始めたが、渦巻く怒涛に吸い込まれそうな恐ろしさは、今も思い出す。苦労と充実の10号になった。

 そのあと、昭和53・54年に気仙沼、唐桑半島、陸前高田松原、碁石岬・三陸町、千歳海岸・宮古市浄土ヶ浜、鯔ガ崎・田老町田野畑村久慈市辺りを回り、陸中海岸の男性的自然美に魅せられ、一方優雅で波静かな趣を見せる極楽浄土ヶ浜のように、心にしみる風景は忘れがたい写生地であったことを思う。

 昭和59年には南リアス線=山田線=北リアス線三陸鉄道開通に伴い、便利この上なく観光と恵まれた海の幸を柱に自然探勝後の地に活気と賑わいを見せていた。

 3月11日東日本大震災はこの世で類をみない、大惨状と化し、放映される被災地をかって歩き回ったあの日、あの時の風景と人々の姿はきえていない。

 観測史上最大級の大震災と大津波で、岩手、宮城、福島県の壊滅的打撃を各国メディアは緊急ニュースで全世界に速報した。

 東日本大震災は現在(2011年8月4日)も広範囲に二次三次の災害に不安と見通しの立たない復旧・復興は政府の構想、取り組みに進展なく、東京電力第一原子力発電所大事故の被災地においては、日を追うごと深刻さを増し、具体的対策内容すら示されないまま被災地の不満が膨れ上がるばかりだ。

 生々しく映し出される陸中海岸国立公園は瓦礫の山、人が家が流されて全て奪い去った跡には泥の海、そして陸地に押し上げられた大型漁船、ビルの屋上に取り残された船体、現実の恐ろしさを誰が予想しただろうか。

 早い復旧復興が望まれる。故郷を失った一人として「がんばらいん」と声援する。感動と強い印象を与えてくれた写生地「北山崎」は38回展に「春雪陸中海岸」名で出品した。

 

「春雪陸中海岸」 F100  1985年

 

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