心に残る風景・・・写生地を求めて

 「小漁村」

 ふと漁村風景を思い出した。何十年前のことにあるのだろうか。千葉県外房の勝浦から太平洋岸に沿う豊浜-新浜-沢倉-川津浜に点在した、ひなびた小漁村、どこにでも目にすることが出来た日本の風土。断崖の間に傾き寄り添う茅葺の漁家、砂浜に引き揚げられた荒削りの丸太で組んだ、あぐり(揚操り)漁船、個性的な船体は赤、青、緑で塗られた頑丈で力強く太平洋の荒波に船首を向けていた。怒涛と飛沫、磯の香を存分に感動尽きない漁村風景が至る所に存在し、どこを向いても絵になる外房はまるごと写生地だった。

 数々の名画を生んだ外房州、犬吠埼から外川、九十九里、御宿、鵜原の理想郷、興津、天津、太海と多くの画家に愛され、作画意欲は燃え、限りなき叙情を小漁村を通じ、心に残してくれた懐かしさ、良き時代の風景であった。

 房総南端の洲崎、野島崎辺は明治、大正の写生地で布良、白浜の漁村、海女小屋、荒涼とした砂浜からは多くの名作が生まれた。その後、布良は要塞地帯となってからは、外房の写生地は太海を中心に東に移ったようだ。

 画家の宿、江沢館はアトリエ付きの部屋まであって、有名大家や新人無名の色紙や油絵がたくさんあった。勝浦沢倉の船宿、人竿洞主人の「万祝」姿は思い出深い。

 時の流れは昭和40年頃から様変わりし、かつての自然はどこへ行ったのだろうか。海岸線はコンクリートで覆いつくされ観光地化し、失われた日本の漁村風景、一つの画題が消えた。

「正月の漁村」 F80 1971年

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